好きを肯定すること・されること
「愛するものを、そのまま愛し続けて大丈夫。」
先日とある授業で尊敬する教授から言われた言葉にときめきを感じたから、書き残しておく。
このときは、出版の未来が見えない話をしていた。
うーん……それは痛いほどわかるから私も紙を捨ててインターネットの世界を選んだけど、それでも文芸・ジャーナリズム論系にいて、作家や編集者になりたくて、批評で有名なあなたの演習をとっているのに、好きなものの暗い話をされたら困っちゃうよ、という本音。未来に希望を感じたい。
それでも、教授は暗い表情をしている私たちを理解してくれていて、この一言を言ってくれた。
それだけでものすごく安心感を覚えた。
ああ、紙の本はなくならないんだな、この人がいる限り大丈夫だな。
愛はどんな力よりも強いよね。
そして同時に、とある言葉を思い出した。
「君たちの好きを肯定しに来ました、DJダイノジです。」
ふらっと見たDJダイノジがとても愛に溢れててよかった、若者ターゲットの懐メロ連続に〆はBiSのnerve!「お前らの好きを肯定しにきました、DJダイノジです」、痺れるね
— ほ⊿ (@hossa_818) 2015, 9月 20
先月氣志團万博に行ったときに叫ばれていて、ときめきを覚えた言葉だ。
好きを「肯定する」こと、愛と熱量と大きな器が必要な気がする。
誰が何百人、何千人の好きを肯定して受け止めきれるだろう?
そして「肯定される」こと、多趣味化と繋がりたい欲求に満ち溢れるこの時代に合っているなと感じた。
氣志團万博はイロモノが多いフェスだったからこそ尚更。
この感情を言語化したいけど、承認欲求、なんて陳腐な言葉で終わらせたくないね。承認欲求という単語がマイナスの意味で使われている現状、とても悲しい。
ミーハーな私は好きが多いしいろんな好きの現場に顔を出しているから、趣味の肩身の狭さ、世間からの風当たりの強さも痛いほどわかる。2次元、BL、そしてアイドル……
好きでいて何が悪いんだろうか。サブカルチャーは悪なのか?
そして、好きに理由は必要なんだろうか。
ときめきを感じる、好きになることに理由なんて必要ないと思う。
だから「好きなものは○○です」と言って、必ず「何故?」と聞かれる就活の面接が大嫌いだった。
それはもちろん好きな部分はあるけれど、好きを言語化することって想像以上に難しい。
感情的に生きることはダメなのかなあ。生きづらい世の中だ。
今日も好きを増やして、肯定して、肯定されて生きるぞ。
ブログはじめました
ブログはじめました。
誰が見てるのかなんてわからない、インターネットの海に漂流される文章だけれども、まずはそれっぽく自己紹介をば。
名前:ほ
職業:大学生(余命数ヶ月)
好きなもの:インターネット、アイドル、活字、スポーツ(走ること)、東京
気になるもの:将棋(電王戦)、フォント、歌舞伎・宝塚などの舞台芸術、ジャニーズ文化、2.5次元、電子書籍、「サブカル」
ミーハーだから好きなものが多すぎて収拾つかない。だから熱の冷めないうちにこのブログにときめきを書き散らかすよ。友達いわく私は「天性のミーハー」。ポップに生きたい。
最近の自己紹介で辟易するほど言っている進路については、来年から広告とインターネットの世界でお仕事をします。自分で選んでおいてなんだけど、「広告代理店」って紹介が好きじゃないし好きになれなさそうで困る。だからこそインターネットの世界で働くの幸せすぎる。働くことと憎っくき就活については熱が冷めないうちにエントリ書くぞ。早く働きたい学生卒業したい。けどしたくない。
「未来はいつだって新たなときめきと出会いの場」。
これは大好きなアイドルの大好きな歌詞の一部です、有名かな。
私は過去を振り返らない主義だから、今と未来を生きたい。ミーハーだからいろんなものにときめくし、新たな出会いにわくわくする。希望しかないね。
このブログは、備忘録であり脳内の可視化でありまとまった文章を書く練習でもあり、でも一番は自己満足と自己分析。
活字が大好きだから人の文章を読むのも好きだし、書くのもまあ好き。
書こう書こうと思いつつもなかなか重い腰が上がらなかったけど、こんなときに書き始めた理由は、お友達がはてな匿名ダイアリーでバズっていたから、というなんとも不純な動機。ああインターネットだ。
熱しやすく冷めやすいから頑張って、でも頑張りすぎず書き続けるぞ。
それにしても深夜テンションって怖いなあ。インターネットの海に飲まれ流される深夜を大事にしたいから、来年から定時で働く生活なんてしたくないよ。最近の口癖は「できることなら働きたくない」。